カスハラ対策で接客は冷たくなるのか|正当な苦情・スタッフ・利益を守る店の設計


「カスハラ対策を厳しくしたら、接客が冷たくなるのではないか」。飲食店ほど、この不安を抱きやすい業種はありません。料理の遅れ、注文違い、会計ミス、予約の行き違い。店に非がある苦情も実際に起こります。だから現場は、お客様の不満を途中で遮らず、まず受け止める必要があります。
一方で、謝罪したスタッフへの人格攻撃、私生活への質問、無理な値引き、同じ要求の反復、長時間の拘束まで「接客だから」と一人で耐えさせれば、別の問題が始まります。その間、他の卓への料理は遅れ、厨房とホールの連携は崩れ、店長の時間が止まり、当事者は次の勤務にも不安を持ち越します。目の前の一人への対応が、店内全体のQSC+H、利益、人材の定着へ連鎖していくのです。
2026年10月1日、カスタマーハラスメントを防ぐための雇用管理上の措置が、従業員を雇うすべての事業主に義務化されました。RBRは、この義務化を「困った客を追い出すための規則」とは捉えません。正当な苦情から店の弱点を学び、社会通念を超える言動から働く人を守り、その二つを誰が勤務していても同じように実行できる仕組みへ変える機会だと考えます。
RBRの主張
良い接客とは、スタッフが無制限に我慢することではありません。店の過失には誠実に向き合い、越えてはならない境界では組織が前に出る。この二つを同じ方針で繰り返せる店ほど、お客様にも働く人にも安定したHospitalityを提供できます。
個人の我慢から、事業主の設計責任へ

まず事実を整理します。厚生労働省の指針では、職場のカスタマーハラスメントは、①顧客や取引先、施設利用者など事業に関係する人の言動であること、②業務の性質や経緯などに照らし、社会通念上許容される範囲を超えること、③そのために労働者の就業環境が害されること、という三つを満たすものです。店頭だけでなく、電話やSNS上の言動も対象になり得ます。重大な暴力や脅迫などは、一度でも該当し得ます。
事業主に求められるのは、ポスターを一枚貼ることだけではありません。方針と対応手順を明確にし、働く人へ周知・教育する。相談できる体制をつくる。事実を迅速に確認し、被害を受けた人へ配慮し、再発を防ぐ。特に悪質な事案に対応できる体制を整え、相談者のプライバシーを守り、相談や調査協力を理由に不利益な扱いをしない。つまり、法律が経営者に求めているのは「スタッフの接客力」ではなく、雇用管理としての店の設計です。
背景には、現場だけの特殊な問題では済まない広がりがあります。厚生労働省が2023年12月から2024年1月に行った実態調査では、過去3年間に顧客等からの著しい迷惑行為を経験した労働者は10.8%でした。「宿泊業、飲食サービス業」では16.0%です。ただし、これは宿泊と飲食を合わせた回答者の経験率であり、飲食店だけの発生率でも、1年間の確率でもありません。それでも、客との接点が多い現場で無視できない数字です。
同じ調査で、被害を経験した人の57.3%が「継続的・執拗な言動」、50.2%が「威圧的な言動」を経験したと回答しました。影響としては、怒り・不満・不安が63.8%、仕事への意欲低下が46.1%、不眠が16.7%でした。これらは本人の回答であり、数字だけから離職や利益低下を直接証明するものではありません。しかし、個人の我慢に任せた対応が、勤務意欲や健康を損ない得ることは読み取れます。
さらに、2026年8月1日時点の厚生労働省「労働経済動向調査」では、宿泊業・飲食サービス業の労働者過不足判断D.I.は、正社員等がプラス32、パートタイムがプラス34でした。これは30人以上の事業所を対象に、「不足」と答えた割合から「過剰」を引いた値で、欠員率ではありません。小規模店すべてを表す統計でもありません。それでも、人が余っていない業界で、一人の安心を失う経営がどれほど重いかを考える材料になります。
ここからがRBRの考察です。 境界が曖昧な店では、判断権を持たない若手やアルバイトが、謝罪、値引き、作り直し、長時間対応をその場で背負います。対応が長引けば、他卓の提供が遅れ、ミスが増え、別の苦情を呼びます。店長が後から火消しに入り、閉店後に報告を聞き、本人が欠勤すればシフトを組み直す。採用と教育が必要になれば、店が育ててきた経験まで薄くなります。カスハラ対策は労務だけのテーマではなく、QSC+H、通常営業、原価、人件費、採用をつなぐ経営課題なのです。
正当な苦情を消さない「二つの軸」

最も危険なのは、強い口調の苦情をすべて「カスハラ」と呼ぶことです。異物混入、注文違い、会計ミス、予約の不備、説明不足。店のミスがあれば、原因を確認し、必要な謝罪と是正をしなければなりません。厚生労働省の指針も、正当な申入れや苦情を不当に制限してはならないとしています。農林水産省の飲食店向けガイドラインも、まず不満を受け止め、共感し、必要な謝罪をし、要望を確認し、店の認識と解決策や代替案を伝える流れを示しています。
現場で判断しやすくするには、苦情を一列に並べず、二つの軸で分けます。一つ目は「要求の内容」です。店の責任範囲か、契約や表示に沿っているか、求められる救済が相当かを見る。二つ目は「伝え方と続き方」です。暴力や侮辱がないか、安全な距離が保てるか、説明の機会があるか、頻度や拘束時間が業務を壊していないかを見る。この二軸で整理すると、次の四つに分かれます。
- 相当な要求・適切な伝え方:事実を聴き、店の過失を謝罪し、作り直しや返金など決めた権限内で是正する。記録を商品・予約・提供工程の改善へ戻す。
- 相当な要求・過剰な伝え方:店のミスは修正する。同時に、人格否定や威圧はやめるよう明確に伝え、責任者へ交代する。店に非があることと、暴言に耐えることを交換条件にしない。
- 不相当な要求・適切な伝え方:できない理由と、可能な代替案を説明する。たとえば対応範囲を超える食材変更なら、安全に提供できる範囲や別メニューを案内する。
- 不相当な要求・過剰な伝え方:管理者へ交代し、対応終了、終話、退店要請を判断する。暴力や身の危険があれば時間や回数を待たず安全を確保し、必要に応じて警察へ連絡する。
農林水産省のガイドラインは、飲食店で起きる事案を、暴力、侮辱・暴言、恐怖・威圧、無関係・不当要求、長時間化、繰り返し、コミュニケーション不成立の七類型に整理しています。「適切な対応を尽くしても30分以上」「同様の内容が3回以上」は、長時間化や反復を判断するための例示です。法定の線引きでも、「30分までは我慢する」「3回までは許す」という意味でもありません。ガイドライン自身が、時間と回数は目安で、状況により早く終了してよいと説明しています。
もう一つ、必ず別に考えるべきなのが合理的配慮です。障害のある人が不当な差別を受けないことを求めたり、社会的な障壁を取り除く配慮を申し出たりすること自体は、カスハラではありません。聞こえにくい人への筆談、車いすを使う人の席の調整、表示を読み上げることなどは、本人の意向を確かめ、実現可能性や負担を踏まえて対話し、難しい場合も理由と代案を伝えます。要求内容への判断と、言動の態様への判断を混ぜないことが、店とお客様の双方を守ります。
この区別は、接客を冷たくするためではありません。正当な苦情を「面倒な客」として消さず、改善すべきQSCを拾うためです。同時に、個人の尊厳を傷つける行為を「お客様の声」で正当化させないためです。RBRが考えるHospitalityは、相手の望みを何でも受け入れることではなく、店が約束した価値へ誠実に応えながら、人と人の境界を守ることです。
境界線を、ポスターからオペレーションへ変える

方針を掲示しても、金曜の19時に新人が一人で判断できなければ、店の能力にはなりません。現場の動作は、「受ける、分ける、引き継ぐ、残す」の四つに落とします。
受ける。 まず「何が起きたか」「お客様は何を求めているか」を分けて聴きます。事実確認前に全面的な責任を認める必要はありませんが、不快や不便を生じさせたことへのお詫びはできます。途中で反論せず、注文票、予約記録、提供時刻、現物、担当者の認識を揃えます。
分ける。 店の不備と要求の相当性、そして言動の安全性を別々に判定します。「料理が遅れた」は店側の確認事項です。「だから店員の自宅を教えろ」は別の不当要求です。一つの会話の中に両方があっても、ミスは直し、越境行為は止めます。
引き継ぐ。 現場が使える合図を一つ決めます。たとえば「責任者確認をお願いします」と発したら、店長ともう一人が現場へ入る。新人一人をその場に残さない。返金、作り直し、提供中止、退店要請、警察への連絡を誰が判断するかも、営業前に決めます。スタッフが「助けを呼ぶと怒られる」と感じる店では、相談窓口を作っても機能しません。
残す。 日時、場所、客観的な発言・行動、店側のミス、提示した解決策、対応した人数と時間、他卓や提供への影響、スタッフの状態、次に直す工程を記録します。感情的な人物評ではなく、後から別の人が判断できる事実を残す。録音や防犯カメラを使う場合は、目的、アクセスできる人、保存期間、告知、個人情報の扱いを店のルールとして決めます。
さらに、事案を五段階に分けると交代が速くなります。レベル0は通常の苦情として現場で解決。レベル1は店長へ相談。レベル2は店長ともう一人へ交代し記録。レベル3は対応終了や退店を通告。レベル4は安全確保を最優先し、警察や関係機関へ連絡する段階です。大切なのは、言葉を強くした回数ではなく、危険性、要求内容、継続性、業務への影響を総合して段階を上げることです。
店長の役割は、最後に登場してすべて丸く収めることではありません。経営者の「正当な不満には誠実に向き合う。しかし、働く人の尊厳は差し出さない」という思想を、交代の合図、権限、言い回し、記録へ翻訳することです。たとえば「当店のミスについてはお詫びし、作り直します。ただ、スタッフ個人への発言はお控えください」「ご説明した対応が当店でできる範囲です。これ以上同じ要求が続く場合は、対応を終了します」といった文を、店の実情に合わせて練習します。
この仕組みがあると、ベテランの度胸に頼らず、若手も早い段階で助けを呼べます。周囲のスタッフは通常営業を続けられ、他のお客様の時間と空間も守られます。オペレーションとは単なる効率化ではなく、経営者が提供したい価値を現場で繰り返し再現する仕組みです。カスハラ対応も、その中に含まれます。
「対応原価」を測ると、保護と利益が同じ線につながる

カスハラ対策が後回しになる理由の一つは、損失が会計科目として見えにくいことです。値引きや返金だけを見れば小さくても、実際には多くの時間が動いています。RBRでは、事案ごとに次のような対応原価を記録することを勧めます。
対応原価の見方
対応人数 × 拘束時間 × 人件費
+ 作り直し・返金・値引き
+ 提供遅延や中断で影響した卓・注文
+ 店長や経営者が止めた業務
+ 事後のシフト調整、欠勤、採用・再教育
すべてを無理に円へ換算する必要はありません。最初は、対応分数、店長交代までの分数、対応人数、返金・作り直し額、影響を受けた卓数、同種事案の再発、当事者への事後確認の有無を記録します。同時に、正当な苦情から改善した工程も残します。目標を「苦情ゼロ」にすると、スタッフは報告を避け、店の欠点が見えなくなります。見るべきは、必要な苦情が改善に返り、越境行為への拘束が短くなり、相談した人が守られたかです。
たとえば提供遅れへの苦情が増え、会話が長引いているなら、客側だけを問題にせず、注文から提供までの見込み時間、遅延時の声かけ、厨房からホールへの共有を直します。アレルギーや食材変更の要求が繰り返されるなら、対応可能な範囲を予約時とメニューで明示し、代替案を揃えます。メニュー写真との差を巡る事案なら、写真、盛り付け基準、手作りによる差の説明を確認します。境界線を引くほど、店側が果たす約束も具体的になるのです。
このとき、QSCとHospitalityを別々にしません。Qualityの不備を直す。Serviceの引継ぎを決める。CleanlinessとSafetyを含む安全な空間を守る。そしてHospitalityを、誰か一人の性格や我慢ではなく、傾聴、限定した謝罪、説明、代替案、交代、事後ケアとして再現する。結果として、目の前の当事者だけでなく、周囲で食事をするお客様の体験も守られます。
小さな店は、法務担当や警備員を常時置く大手と同じ方法では戦えません。しかし、事案が起きたときに経営者と店長の判断が近く、翌日から工程を変えられるのは小規模店の強みです。記録を「犯人探し」に使わず、どの約束が曖昧だったか、どの権限が不足したか、どこで交代が遅れたかを学ぶ。その速さは、大手が簡単に模倣できない能力になります。
14日で、経営者の考えを現場の習慣へ移す

制度対応を大きなマニュアル作りから始めると、完成まで現場が変わりません。まず14日間の小さな実験として、店の動作を確かめます。これは14日で法的義務のすべてを満たせるという意味ではありません。方針、相談体制、事後対応、再発防止、悪質事案への体制、プライバシー保護など、必要な措置全体は別途整えたうえで、実際に動くかを試す工程です。
- 1~2日目:直近の苦情、長時間対応、怖かった場面を、個人が特定されない形で最大10件集めます。客の言動だけでなく、注文、表示、予約、提供、会計など店側の原因も探します。
- 3日目:経営者が「正当な苦情は改善へ返す。働く人への越境行為は組織で止める」と一文で方針を示し、相談した人を責めないと宣言します。
- 4~5日目:要求内容と伝え方の二軸、五段階の対応レベル、交代の合図、返金・作り直し・退店・通報の権限を決めます。警察、施設管理者、本部、社労士や弁護士など必要な連絡先も確認します。
- 6日目:一枚で書ける記録票と相談経路を用意します。保存場所、閲覧できる人、保存期間も決めます。
- 7日目:20分だけロールプレイします。提供遅れ、注文ミス、人格攻撃、SNSへの投稿をほのめかす言動、合理的配慮の申出など、性質の異なる場面を使います。
- 8~10日目:全シフトで試し、終礼で3分だけ「交代を呼べたか」「通常営業を守れたか」「言いにくい文は何か」を確認します。
- 11~12日目:記録を見て、原因工程を一つだけ直します。待ち時間の伝え方、キャンセル条件、アレルギー対応範囲、返金権限、代替案など、再発に効く一つを選びます。合理的配慮が難しいときに代案を出す練習もします。
- 13~14日目:言い回しと境界を更新し、経営者と店長がレビューします。以後は月次で、対応時間、交代の速さ、改善した工程、再発、スタッフの状態を確認します。
ロールプレイで評価するのは、強い言葉で客を言い負かせたかではありません。事実を聴けたか。店のミスを隠さなかったか。できることとできないことを説明できたか。危険になる前に交代できたか。周囲の客と仲間の営業を守れたか。終わった後に本人の状態を確認したか。この六つです。
経営者の思想を店長が判断基準へ翻訳し、スタッフが同じ合図と文言で動き、記録が工程改善と教育へ戻る。その行動が繰り返されると習慣になり、相談しても責められない文化になります。やがて「この店は正当な声を聴く。同時に、働く人を一人にしない」という信頼が、採用広告や禁止ポスターだけでは真似できない組織のケイパビリティになります。
カスハラ対策で接客を冷たくする必要はありません。正当な不満には、以前より速く、具体的に、誠実に応える。越境行為には、個人の感情ではなく店の方針として境界を示す。その両方ができる店こそ、お客様と働く人の時間を守り、利益を残しながらHospitalityを続けられます。
出典・参考資料
- 厚生労働省「職場におけるハラスメントの防止のために」(法公布日、施行日、指針・事業主向け資料)
- 厚生労働省告示第51号「カスタマーハラスメント防止指針」(2026年2月26日公布)
- 農林水産省「飲食店におけるカスタマーハラスメント対策」(2026年2月策定、7類型・研修資料)
- 農林水産省・厚生労働省「飲食店のためのカスタマーハラスメント対策ガイドライン」(詳細版)
- 厚生労働省「職場のハラスメントに関する実態調査」公表ページ(2024年5月17日公表、2025年8月15日訂正版掲載)/訂正版・調査概要PDF
- 厚生労働省「労働経済動向調査(2026年8月)」(2026年9月29日公表)
- 農林水産省「障害を理由とする差別の解消の推進」(合理的配慮に関する所管事業者向け資料)
この記事を書いた人 Wrote this article
新田 敏之 RBR合同会社 統括 / 男性
RBR(Restaurant Business Reform)代表。 鉄板焼きの現場で25年。 これまで数多くの飲食店の立て直しを中心とした経営改善に携わり、売上改善、商品開発、人材育成、オペレーション構築、デリバリー事業の立ち上げなど、現場に入りながら支援を行ってきました。 現在は「ガブ飲み食堂」を運営しながら、主力商品の開発・ソースや商品の卸事業、デリバリーFC事業の展開、そして飲食店の経営改善支援を行っています。 このブログで発信するのは、机上の理論ではありません。 すべて現場で試し、失敗し、改善を繰り返してきた実践知です。 料理だけでは、お店は続きません。 利益が残る仕組み、人が育つ環境、お客様に選ばれ続ける理由。 私は、その「経営」を一人でも多くの飲食人に届けたいと考えています。 飲食店を増やしたいわけではありません。 利益が残る飲食店を、一店舗でも増やしたい。 その想いを胸に、今日も現場で挑戦を続けています。